SVFの英Tractable社への出資によるスタートアップ企業を取り巻く環境の変化

ソフトバンク・ビジョン・ファンド(以下、SVF)は英国のInsurTech企業Tractableに出資し、投資を拡大する姿勢を見せている。
Tractableは損害保険の査定を画像解析AIにより自動化する技術を開発する企業であり、世界大手損害保険会社でも30社以上が採用している。
今回のラウンドでソフトバンク等から調達した6500万ドルの資金を次世代AIの研究開発に充てる予定であるとのことである。
今回はSVFによる出資がInsurTech領域に及ぼす影響について多角的に考察していく。

SoftbankVisionFundのInsurTech / Fintech領域への投資

今回Tractableに出資をしたのはSVF2であり、SVF2にはLP投資家としては保険業界から第一生命保険株式会社が参画している。

SVF1とSVF2はこれまでにFintech企業に対する投資を件数ベースで全体の8分の1程度行っている。
以下の画像は投資件数全体に占めるInsurTech企業、InsurTechを除くFintech企業、その他の企業の割合で、1枚目がSVF1のもので、2枚目がSVF2のものである。

SVF1の出資企業の中には、Policybazaar(インドのオンライン保険)、ZA Tech(Zhong An傘下の)が、SVF2の出資企業の中にはEnvelop Risk(再保険会社向けのアンダーライティング)が含まれている。

SVFによる今回のTractable社に対する出資は不動産系スタートアップのWeWorkに対する出資で巨大な損失を出した後に久々の大型出資となった。
孫正義会長兼社長は今後は「オフェンスモードにシフトする」と6月の株主総会で発言しており、今後の出資の動向が注目を集めている。

SoftbankVisionFundが出資したTractable社とは

Tractable社は、アレックス・ダリヤックCEOによって2014年にロンドンで設立された。非上場企業であるにもかかわらず、2021年の時点で時価総額が10億ドルを超えると推定されるユニコーン企業に成長していた。同社は、現時点で、最新の推定時価総額、過去の売上高、資産規模を開示していない。

Tractableの強みは、スマートフォンで撮影した画像をAIで解析し、自動車や建物ごとに修理の可能性や損害額を即座に評価できることだ。このAI Reviewというサービスを欧米を中心に世界30社以上の損害保険会社に提供している。

日本でもいわゆるメガ損保3社(東京海上日動、損保ジャパン、MS&AD)で導入されており、特に損保ジャパンでは2025年までに年間100万件の自動車保険の損害調査事案の4割をTractable社の提供するAIサービスによって自動化することを目標として掲げていると、Tractable社のインタビューに応じた損保ジャパンの執行役員が述べている。

投資環境の変化によりInsurTech企業と保険会社に求められること

日本のInsurTech元年と言われている2018年から2021年にかけて右肩上がりで増加し続けていたInsurTech企業への出資額は2021年から2022年に半減した。これはInsurTech領域に限らず発生している問題で、原因はインフレと金利上昇にある。

BCGレポートより)

この状況を受けて海外のInsurTechメディアであるInsurTech Newsが独自に行なったInsurTech領域の投資家・InsurTech企業の代表に対するインタビューにて、多くの有識者は以下のように述べていた。

  • 市況の悪化に伴って保険会社が自社のオペレーションに注力することが予測されるため、まだ実績のないInsurTech企業と大手の保険会社との間で、実証実験、提携、資金調達が停滞すると考えられる
  • 上記の変化に伴ってInsurTech企業の中でもオンライン保険会社は苦戦を強いられる一方で、保険会社や保険代理店、ブローカーを支援するサービスを提供しているニッチな会社にこそチャンスがあると予想される

2023年の世界全体のInsurTech企業のエクイティ・ファイナンスでの資金調達額は2022年と同水準にとどまるとBCGは予測している。
未公開企業、特に業績が低迷しているオンライン保険会社の評価額も市場の評価額を反映して下がり始める可能性が高い。資金不足に陥るリスクのある企業は、廃業のリスクを冒すよりも、割安であっても会社を売却することを望むだろう。
2022年にLemonadeがMetromileを買収し、2023年にVista Equity PartnersがDuck Creek Technologiesを買収したときのように、次のM&Aの波によって株式公開企業が非公開化される可能性もある。

一方で、保険会社の視点から考えると現在の市況はチャンスであるとも考えられる。
金利上昇は保険会社に利益をもたらし
ている。不透明な市況もリスクに対する懸念から保険のニーズを喚起するとも捉えることができる。
InsurTech企業は生き残りをかけた状況にあるため、保険会社にとっては事業提携・資本提携・M&Aにアクセスしやすくなる。すなわち、既存保険会社は有利な立場にあり、デジタル人材やサービスを獲得する絶好の機会でもある。

今後もInsurTech企業にとって困難な環境が続くことが予想されるものの、成長志向の積極投資を基本とする考え方から、キャッシュの節約と収益性の達成に重点を置いた考え方に移行することによってこの時代を乗り越えることができたInsurTech企業は数年後にチャンスが到来した際には将来的に大きく躍進するであろう。